水土里ネットとは

概要

勝浦土地改良区について

本土地改良区は、ミカン栽培の省力化と機械化、量産化の為、事業内容を樹園地への灌水と既設農道の改良および新規農道の敷設として設立された農業者の団体です。

勝浦町のミカンは昭和30年代、隆盛を極め、ミカン農家の数も急速に増えましたが、昭和40年代には生産過剰により、ミカン価格は下落し、また昭和43年の寒凍害により勝浦町のミカン園は大きな打撃を受けました。

厳しい情勢の中、昭和44年3月、勝浦川総合開発事業基本計画(案)の樹立に伴い、上勝町正木ダムの多目的利用を図り、勝浦町のミカン園533haへのかんがい用水の新規水利用権を取得するため、昭和44年度、勝浦町が県営土地改良事業調査地区に決定されました。

その後、関係者の強い要望のもと昭和44年から46年の3ヵ年をかけて調査を行い、昭和46年10月1日役場に「畑地総合整備事業推進本部」を設け、農家への周知啓蒙と種々事業のPRに努めました。そして役職員や町当局等が、苦労を重ねて事業施行と土地改良区設立の同意を取り付け、昭和48年3月22日に「勝浦土地改良区」として設立認可になりました。

昭和47年度より県営畑地帯総合土地改良事業、昭和48年度より県営かんがい排水事業を開始し、県営かんがい排水事業は昭和58年度に、県営畑地帯総合土地改良事業は平成9年度に事業完了しています。

現在は、一部の地域を除く町内ほぼ全域にパイプラインが整備され、一年を通して農業用水が利用できる様になっています。

勝浦川
勝浦土地改良区事務所

水土里ネットとは?

平成14年10月に、「土地改良区の愛称を考える会」で決定された土地改良区の愛称です。

選定する際の視点として、愛称の意味性に加えて”自分たちが日常使用すること”を念頭に、わかりやすさ、親しみやすさ、呼びやすさ、覚えやすさが重視されています。

水
農業用水、地域用水などを表してます。
土
土地、農地、土壌などを表しています。
里
農村空間。農家や地域住民が一体となった生活空間などを表しています。
ネット
  • 全国40万Km(地球10周分)にも及ぶ水路ネットワーク
  • 農家、地域住民等のネットワーク
  • 資源循環のネットワーク
等の意味を包括しており、将来に向けた土地改良区の役割と姿を表現しています。

沿革・組織図

沿革

昭和45年9月21日町役場において「勝浦町畑総推進協議会」を結成し、本会を母体として堺福一(町長)協議会会長を軸に、勝浦土地改良区の設立準備が始められました。

これにより設立申請人を選任し、設立するためには地域関係農家の全体の3分の2以上の同意が必要なため、土地改良事業内容の周知徹底と同意書名のとりまとめが行われました。

また、定款作成委員会も発足し土地改良区の骨子となるべく定款・役員選挙規程及び規約を作成しました。

そして、昭和48年1月23日堺福一氏他42名の申請人により設立認可申請書を県知事に提出し、同年3月22日に設立が認可され、ここに勝浦土地改良区が誕生しました。

昭和44年3月 勝浦総合開発事業基本計画(案)樹立。
昭和44年 ~ 46年 昭和44年度新規県営土地改良事業調査地区に決定。
昭和45年9月21日 勝浦町畑総推進協議会を結成する。
昭和46年5月13日 勝浦町畑総推進協議会を開催し役員を決める。
昭和47年2月14日 勝浦土地改良区設立申請人会議を開催し、土地改良区の事業内容並びに定款作成の基本となるべく事項について協議する。
昭和47年10月17日 定款作成委員(原田昭三 他14名)15名を委嘱。
昭和47年10月20日 設立申請人会議開催、同意書の取りまとめ及び土地改良区設立についての協議を行う。
定款作成委員会開催、勝浦土地改良区定款、役員選挙規程及び規約(案)の審議を行う。
昭和48年1月22日 定款作成委員会開催、定款、選挙規程、規約の最終(案)決定。
設立申請人会議開催、設立申請を県へ提出することを決定。
昭和48年1月23日 勝浦土地改良区設立認可申請書を県知事に提出する。
昭和48年3月22日 勝浦土地改良区設立認可なる。(認可番号 徳島第369号)

組織図

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